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子供の幸せ喜ぶパパの歌? 藤原道長の和歌「この世をば-」の別解

藤原氏による摂関政治の全盛期を現出した藤原道長=菊池容斎著「前賢故実」(国立国会図書館蔵)から
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 「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」-平安時代に摂関政治を繰り広げ藤原氏の栄華の元をつくった藤原道長(966~1027年)が自らの権勢を誇った歌として、日本史の教科書でもおなじみの和歌だ。この歌のせいもあり、道長には野心家で、尊大なイメージがつきまとう。しかし、詠まれた場の空気や人間関係などから、別の解釈を提案する論文が発表され、注目されている。世に語られる道長像とは違った、人間くさい一面が見えるという。(渡部圭介)

 ■栄華を極めた道長

 藤原道長は一族内の争いに打ち勝ち、4人の娘を天皇や皇太子の妻として送り込んで、栄華を極めた貴族として語られる。その人物像を象徴する歌として教科書でおなじみなのが、「この世をば-」だ。

 歌は藤原実資(さねすけ)の日記「小右記(しょうゆうき)」に残っている。詠まれたのは寛仁2(1018)年10月16日。この日は道長の三女、威子(いし)が後一条天皇の后となった日だ。

 日本史の教科書などをめくると、歌の通釈は次のようになっている。

 《此(こ)の世の中は、すべてが満足にそろって、自分の世のように感ずる。(満月が欠けるところのないように、この世の中で自分ののぞむ所のものは何でもかなわぬものはない)》(第一学習社『詳録新日本史史料集成』)

 小右記によれば、道長は返歌を求めた上で、この歌を即興で詠んだ。ところが実資は「優れた歌で、返歌は作れません。一同、この歌を吟じて味わうのがよいでしょう」と返し、その場にいたみんなで唱和。これに気を良くしたのだろうか。道長は歌を返さないことを責めなかったという。

 ■複雑なロジック

 絶大な権力者を前に、その歌を唱和する人々…なんともピリピリとした雰囲気が漂う。

 しかし、これに疑問を抱いたのが、平安文学研究者の京都学園大の山本淳子教授だ。

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