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【萌える日本史講座】大阪・狭山池の石棺は天皇の墓だった

 大正~昭和初めに見つかった石棺の蓋石(長さ2・2メートル、幅1・4メートル)は、屋根の平坦面が広いことから6世紀末~7世紀初めと推定。狭山池から約5キロ北東にある陵墓の来目皇子墓(大阪府羽曳野市、一辺50メートル)は、市教委の調査で7世紀初めの築造とされ、603年に死去した来目皇子の墓の可能性が高く、狭山池出土の石棺と時期も合致するという。

 同古墳について江戸時代の文献では「石室はあるが石棺はない」と記され、西川さんは「狭山池近辺で7世紀初めの皇族クラスの古墳は来目皇子墓以外になく、ここから運び出されたのではないか」とする。

国内最大級の石棺

 一方、昭和末~平成初めに発掘され、狭山池石棺群で最も大きい2つの石材についても詳細に検討。いずれも長さ2・4~2・6メートル、幅約1・3メートルで石棺本体部分とみられ、国内の石棺でも最大クラスになる。石の細かい材質や底部の加工した跡が共通しているとし、同じ古墳から運び出されたと判断した。

 そのうえで「巨大な石棺を2つも納めるには、相当大きな石室が必要」とし、約8キロ北にあり国内5番目の墳丘規模を誇る前方後円墳、河内大塚山古墳(松原市・羽曳野市、335メートル)を候補に挙げる。

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