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【夕焼けエッセー】父上と書く手紙

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 母はがんで62歳の短い人生を終えた。父からの手紙が急に届き始めたのは、その頃からだった。父は5歳のときに母親を亡くし、その情を知らずに育ったため、私たち子供に対しての愛情表現も当然下手だった。寂しさを紛らわすための手紙だったのだろうか。

 終戦で満州から引き揚げた。父は仕事運に全く恵まれず、一家で日本各地を流浪した。私は13歳で新聞専売所に下宿した。それからは父とは疎遠な生活が続き、仕事で長年遠く県外に住んでいた。父と遊んだ覚えもなく、一緒の写真も一枚もない。父はいつも遠い記憶の彼方にいて、縁薄い環境で育った。

 そんな父からの手紙だったが、必ず返事はした。孝行のひとつと考えた。だが手紙に「父さん」とは書けなかった、どうしても無理だった。主語の欠けた文章は何度書き直しても、意味の希薄なものになる。何度目かの返事の際、思いあまって「親父さん」としたが、これも妙でやめた。長い苦渋の末にやっと「父上」を思いついた。これで文章が格段におさまり、以後、最後まで「父上」を貫徹した。

 帰省した折、父を居酒屋に連れ出した。下戸の父は一杯の酒で赤くなり、「手紙の父上はいいな」とポツリと口にした。本音を言わぬ父だ。瞬時に、父さんと呼ばれたいのだと察した。しかし、過ぎた時間はあまりにも長すぎた。94歳で亡くなるまで、「父さん」と呼ぶことは、一度としてなかった。

 今、父の遺影に毎朝、「父さん」と呼んでいることの切なさを痛感する。

 臼木巍(たかし)(74) 愛知県武豊町

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