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【萌える日本史講座】大化改新の舞台「難波宮跡」南限示す塀跡発掘 孝徳天皇、壮大な宮を造営 

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 大阪市中央区の難波宮跡(なにわのみやあと)で、東西に並ぶ7世紀中頃の柱穴が発掘された。飛鳥時代の政治改革「大化改新」を手掛けたとされる孝徳天皇の「難波長柄豊碕宮(なにわのながらとよさきのみや)」の南端を区切る塀跡とみられる。これまでに南側の正門「朱雀門」や塀跡の一部が見つかっており、宮の南限がほぼ確定した。宮の範囲は南北650メートル以上、東西600メートル以上と推定。7世紀末に天武天皇が築き200メートル四方に主要な宮殿が配置された「飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)」(奈良県明日香村)をはるかにしのぐ規模だった。藤原宮(同県橿原市)や奈良時代の平城宮(奈良市)ほど知られていない豊碕宮だが、飛鳥から難波の地に遷都した孝徳天皇には、新天地で国づくりにかける強い決意があった。(小畑三秋)

 豊碕宮跡については、平成5(1993)年に朱雀門とみられる大規模な建物跡(東西24メートル、南北9メートル)が見つかっており、今回、大阪文化財研究所がマンション建設に伴って朱雀門跡から約190メートル西を発掘。東西に一列に並ぶ柱穴(一辺1~1・4メートル)が見つかり、柱が2・9メートル間隔で立てられていたことが分かった。出土した土器などから7世紀中頃と判明。2・9メートルは当時の10尺にあたり、規則的に立てられていた。

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