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【維新150年 大阪の痕跡を歩く】龍馬暗殺犯とされる「京都見廻組」隊士が眠る「心眼寺」

坂本竜馬を暗殺したとされる京都見廻組、桂早之助(右)と渡辺吉太郎の墓=大阪市天王寺区(前川純一郎撮影)
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 JR玉造駅から長堀通を西に歩く。玉造筋を越え約300メートル、南にゆっくり続く勾配を上ると、小高い丘のほぼ頂上に大阪明星学園の明星高校・中学校のグラウンドが広がっていた。丘陵一帯は、大坂冬の陣で真田幸村が大坂城外に築いた出城の跡と推定され、テニスコートの脇には「真田丸」の顕彰碑が立つ。

 坂道の途中、真田一族ゆかりの「心眼(しんがん)寺」=大阪市天王寺区餌差(えさし)町=があった。元和8(1622)年、幸村を弔(とむら)って創建された古刹(こさつ)で、「六文銭」の家紋が刻まれた山門の扉をくぐると、左手に幸村の墓碑。2年前のNHK大河ドラマを機にファンの聖地となった。今も訪れる人が絶えないという。

 掃き清められた境内を本堂に進むと、階段の脇に小さな墓石が2つ並んでいる。「桂早之助(かつらはやのすけ)」、「渡辺吉三(太)郎」。ともに幕末の治安部隊「京都見廻組」隊士で、鳥羽伏見の戦いで戦死した後、この地に葬られたという。

× × ×

 慶応3(1867)年11月15日、京・河原町の醤油(しょうゆ)屋「近江屋」で、土佐の海援隊隊長、坂本龍馬と陸援隊隊長、中岡慎太郎が刺客に襲われた。2階に潜伏中の龍馬は刺客が放った初太刀(しょたち)で額を深く斬られると、振り返ったところを肩から背中を斬られ、続く一撃を太刀の鞘(さや)ごと前頭部に受けた。ほぼ即死状態で、十数カ所を斬られた中岡も2日後に死亡した。

 近江屋事件である。龍馬が献策し、土佐藩の建白書を受けて、将軍、徳川慶喜が政権を朝廷に返上した大政奉還の約1カ月後のことだった。

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