PR

産経WEST 産経WEST

秀吉築城の初期伏見城跡、西に10度傾く溝跡出土 京都

交錯する江戸中期以降のものとみられる東西(右)、南北(上)の溝=京都市伏見区
Messenger

 豊臣秀吉が築いた初期の伏見城「指月城」跡(京都市伏見区)から、江戸時代中期以降に設けられたとみられる東西、南北の溝跡が出土し、同市文化財保護課が地元住民に公開した。築城直後に城は倒壊したが、両溝の方向が西に10度傾く指月城特有の方位を100年以上経ても踏襲しながら、宅地を造成していたことがわかった。

 城の中枢部の範囲確認調査に伴い約140平方メートル調査した結果、南北と東西の溝跡が出土した。宅地の区画溝とみられ、いずれも西に10度傾いていた。幅は南北溝が約2メートル、東西溝が2・5メートル以上で、深さはいずれも現状で約0・3メートル。このほか秀吉時代の金箔(きんぱく)瓦の破片も出土した。

 遺構の検出状況から、東西の溝が先に設けられていた。出土した土器などから18世紀の江戸中期以降につくられたが、両溝の時期に大差はなく、いずれもほどなくして埋められたらしい。

 溝の傾きは、指月城の当時の方角を100年以上経た江戸中期以降も踏襲していたことを物語る。その後近くにある北朝の天皇・皇族を埋葬したとされる大光明寺陵を明治時代に改修した際、正方位に整備されたとみられる。

 同市文化財保護課は「この周辺で今も城の方位を踏襲した建物が残る中、城の中枢部の実態に迫る手がかりをつかむとともに、以後の土地利用の変遷を知る上で貴重な資料になった」と説明している。

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ