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【関西プチ遺産】聖徳太子が休息した伝説残る「腰掛石」

聖徳太子が休息したと伝わる腰掛石=奈良県三宅町
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 聖徳太子(574~622年)は古代史上の偉人というだけでなく、昭和33~61(1958~1986)年まで一万円札の顔となっていたため、日本人によく知られる人物であろう。太子は奈良盆地の南部・飛鳥に生まれ、斑鳩(いかるが)の地で斑鳩の宮を営み、推古天皇をささえ、国政において重要な役割を果たした。

 奈良盆地は古代以来東西・南北を基本とした地割であるが、飛鳥から斑鳩まで距離にして約20キロの間、途切れ途切れながらも北でやや西に振れる斜めの道が復元できる。この斜めの道は、太子が愛馬・黒駒にまたがり、調子麿(ちょうしまろ)を従え、飛鳥と斑鳩と往来した道と伝えられ「太子道」と呼ばれている。

 奈良盆地の中央部、三宅町を通過するこの道は、3キロ近くほぼ直線で町を貫いている。「太子道」沿いには太子がこの地で休息されたときに腰を掛けたと伝わる「腰掛石」がある。上面は平で、いかにも腰掛けといった感じの石である。また、太子がここを通ったとき、調子麿が飲み水を探したが見つからず、太子が従者の持つ矢で大地を一突きしたところ、きれいな水が湧き出したという。村の人々はこの水を「矢じりの井戸」と名付け大切に使ったということである。

 歴史の詰まった奈良盆地だからこその、聖徳太子にまつわる伝説である。(伊藤純)

 メモ 近鉄田原本線黒田駅下車、北へ約1.5キロ

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