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【ミナミ語り場】作詞家・もず唱平さん 「あかんたれ」を応援する街

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【ミナミ語り場】
作詞家・もず唱平さん 「あかんたれ」を応援する街

「ミナミでの出会いが作詞家人生の出発点」と語るもず唱平さん=大阪市中央区の「たこ梅」(恵守乾撮影) 「ミナミでの出会いが作詞家人生の出発点」と語るもず唱平さん=大阪市中央区の「たこ梅」(恵守乾撮影)

「日本ポップスの父」と称された作曲家、服部良一氏も道頓堀で音楽家としての第一歩を踏み出した。「ミナミは大衆音楽の最初の発信地、昭和歌謡史そのもの」と断言する。

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 天職の作詞家にたどり着くまで職を転々とした。転機となったのは昭和35(1960)年、劇作家を目指して、道頓堀の中座を拠点劇場とする松竹新喜劇文芸部に入ったこと。創設者で喜劇俳優の二代目渋谷天外氏のもとで演出助手を務めた。といっても実質は「天外氏の付き人のようなもので、使い走りの毎日でした」。作家や演出家らに叱られながら、劇中歌の音源を求めて上演間際まで界隈(かいわい)のレコード店を走り回った。

 劇作家の夢は破れはしたが、中座で過ごした期間を「僕の人生に影響を与えた人々との運命的な出会いがありました」と振り返る。

 20代後半で本格的に歌作りに取り組み、半世紀。ミナミを題材にした歌の主役は成功者ではなく、いつも社会の片隅に生きる庶民であるのが、もず流だ。人生に敗れ、恋に破れた弱者たち。そこに込めた思いを作詞した曲のタイトルをあげて、「『あかんたれ』への応援歌」と強調する。「あかん奴(やつ)は本当にダメな人間ですが、『あかんたれ』には愛惜の情が残っている」と解説する。

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