PR

産経WEST 産経WEST

【名伯楽の挑戦(4)】野口さんが走れなくなっていく姿 「やります」に涙、涙… 広瀬永和さん

Messenger

自分の意志を貫き、絶対にぶれない

 --レース後はどうでしたか 

広瀬 僕もそうだったんですけど、野口もすごい肩の荷が下りたっていうか。そういうところから全部、解放されたっていう感覚になったんですよ。僕も、「あ、終わった」って。すべてが終わった感じ。いままで味わったことのないような解放感というか、それが印象的でしたね。

 --野口さんを20年近く指導されました

広瀬 自分が現役(選手)では味わえないような、いろんな経験をさせてもらいました。金メダルを取るとか、日本記録を出すとか。すごい経験をさせてもらったと思います。

創部したばかりの岩谷産業陸上部で駅伝やマラソンに挑む広瀬永和監督=大阪市中央区本町の岩谷産業本社
創部したばかりの岩谷産業陸上部で駅伝やマラソンに挑む広瀬永和監督=大阪市中央区本町の岩谷産業本社

 --野口さんはどんな女性でしたか

広瀬 普通の女性ですよ。ただ、競技をやっている以上はいろんなものを犠牲にしていました。取り組み方とか、自分のこだわりとか、そういうのはちゃんと持っていて。絶対ぶれないというか、自分の意志を貫くというか。脚が壊れるまで実業団でやりたいといって入ってきて、自分の思ったことを最後までやり遂げた選手ですよね。

 --野口さんが引退した後、シスメックスを離れました。その間、指導者に戻る気はなかったのですか

広瀬 「(野口の引退で)当然、僕もそこで一度、区切りをつけたいと思ったので。その後はどうしようかなとか。(指導を)二十数年やったから自分の整理をしたいというのがあって。そういうときに(岩谷産業から)話をいただいたんです。既存のチームに行って引き継ぐのではなく新しいチームだったので、すごく魅力を感じたのは事実です。(つづく。次回は最終回。9月7日正午に掲載します)

2012年1月、米コロラド州ボルダーで一緒に練習する野口みずきと広瀬監督 (撮影・リョウ薮下) 
2012年1月、米コロラド州ボルダーで一緒に練習する野口みずきと広瀬監督 (撮影・リョウ薮下) 

プロフィル

 ひろせ・ひさかず 昭和40年7月16日生まれ、兵庫県出身。兵庫・西脇工高、立命大の長距離選手をへて、平成3年にワコールにコーチとして入社。11年に野口みずきとともにグローバリーへ移り、16年には野口がアテネ五輪女子マラソンで金メダルを獲得。17年にシスメックス入りし、28年5月の退任時は総監督。同年6月から岩谷産業の陸上競技部創部に携わり、監督を務める。

 

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ