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【維新150年 大阪の痕跡を歩く】幕末史を開けた清河八郎が親孝行した「瓢箪屋」

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【維新150年 大阪の痕跡を歩く】
幕末史を開けた清河八郎が親孝行した「瓢箪屋」

「天神祭」のクライマックス、奉納花火と船渡御。清河八郎は母親とともに祭りを見物した=7月25日、大阪市都島区(宮沢宗士郎撮影) 「天神祭」のクライマックス、奉納花火と船渡御。清河八郎は母親とともに祭りを見物した=7月25日、大阪市都島区(宮沢宗士郎撮影)

 7月の暑い夜、天神祭を見に行った。

 夕闇が迫り、大川の両岸の篝火(かがりび)や提灯(ちょうちん)に灯(あかり)が入るころ、船渡御(ふなとぎょ)が始まり、川面に次々と船が繰り出した。だんじり囃子(ばやし)が響き渡り、行き交う船と船の間で、「大阪締め」がにぎやかに交わされる。

 やがて、「ド~ン!」という音とともに花火が上がり、夜空と水面に大輪の花を咲かせた。岸と橋上に押し寄せた観衆からどよめきが起こり、祭りはクライマックスに達した。

× × × 

 安政2(1855)年6月、出羽庄内藩(山形県)出身の勤王志士、清河(きよかわ)八郎が天神祭の見物のため、母親を連れて大坂を訪れた。「幕末史は八郎が幕を開け、(坂本)龍馬が閉じた」といわれる、あの清河である。

 江戸に遊学中だった清河はこの年の3月、故郷に戻り、母の亀代と西国への旅に出る。9月まで、庄内~新潟~善光寺~伊勢~奈良~京~大坂~金比羅~宮島~岩国~大坂~江戸~庄内をたどる169日間の大旅行だった。

 ハードで中身の濃い行程は、実家の財力と、清河自身、最後の母親孝行になるだろうとの強い思いが可能にさせたにちがいない。

 清河は訪ねた先々の見聞を毎日のように記録し、帰郷後、「西遊草(さいゆうそう)」という旅行記にまとめている。名所旧跡、歴史、人物への識見が深い名文で、「母君他日の臥遊(がゆう)に供せん」(いつか母親の旅の思い出の参考にしてもらう)と、あえて苦手な和文で綴(つづ)っている。

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