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【虎番疾風録(17)】吉田か村山か、OB監督復活へ

昭和30年代の阪神を支えた両雄。若き日の吉田(右)と村山の貴重なツーショット
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 ドン・ブレイザー-中西太と3年続いた“外様監督”。阪神のOBたちとすれば、ここらで「OB監督」を復活させたいところだろう。噂に挙がった名前は2人。

 村山実、当時44歳。吉田義男49歳。村山が昭和45年から3年間、投手兼監督を務めれば、吉田も50年から52年の3年間采配を振るった。どちらが先に「第2次政権」を迎えるのか。阪神のOBから監督を選ぶとすれば、当然のように名前が挙がる2人だった。

 ここで少し『吉田と村山』についての話をしよう。ポジションは違えど現役時代から2人は「好敵手」といわれていた。

 京都の立命館大学を2年で中退し、28年に阪神に入団した吉田だったが、当初は球団首脳の誰も吉田には注目していなかったという。当時、阪神は東京六大学屈指の遊撃手といわれた慶応大学の松本豊の獲得に躍起になっていた。ようやくのことで入団内定のところまでこぎつけた。ところが、正式契約を前に「家庭の事情」で松本が阪神入りを断念。阪神はしかたなく、プロ入りを希望していた吉田を中退させて獲得した。

 球団発行の『阪神タイガース昭和のあゆみ』によれば、当時、監督だった松木謙治郎も松本を獲れなかったショックで、28年のキャンプでは内野陣の練習には見向きもしなかったという。しかたなく獲った選手-吉田は猛練習で技を磨いた。チームメートから「吉田は風呂へ入るときと飯を食っているとき以外はグラブを外さない」と言われたのもこの時期である。

 30年に初めてセ・リーグの「ベストナイン」に選ばれ、以後5年連続。通算9度の「ベストナイン」に輝いた。俊足巧打。併殺の際には二塁ベース上でポーンと跳びはねて一塁へ送球。その華麗なジャンピングスローから「今牛若丸」と呼ばれた。

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