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【文化遺産は語る(2)】北の大地走り“義経”として都へ 京都鉄道博物館(京都市下京区)の「SL7105号機」

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 車両は翌年、北海道を離れたが関東大震災が発生。10年以上も道中で足止めとなった後、埼玉の工場に入るが、鉄道ファンの指摘をきっかけに昭和11(1936)年、この車両は「別人」と分かる。車体に残る製造順に振られた番号を調べたところ、義経号と同年に製造、輸入された弁慶号と取り違えていたことが判明したのだ。

 本当の義経号はどこへ行ったのか。大正12(1923)年、廃車後に堺の車両工場に払い下げられ、車両の入れ替え用に使われていた。戦後、義経号の保存を求める声の高まりを受け、昭和27(1952)年、国鉄に引き取られた。

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 義経号は原型を留めないほど改造されており、国鉄は鷹取工場(神戸市)で修復。往事の姿を取り戻す。すると、西部劇に登場するような容姿は話題を呼び、各地のイベントに遠征。平成2(1990)年、大阪で開催された「国際花と緑の博覧会」では会場内を客車を牽引して走行、77万人が乗り、大人気を博した。

 その後は大阪の交通科学博物館を経て、京都鉄道博物館へ。源義経とのゆかりも深い京都で余生を送るとは、なんという奇縁だろう…と、美しく結べない逸話があるから悩ましい。

 実は義経号の修復の際、1884年製の5番機「信広」の製造番号が刻印された部品が、複数確認された。義経号の製造番号が残る部品は、それらしい数字が読み取れる1点しかなかった。

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