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【虎番疾風録(15)】急転、中西監督留任 オーナーの鶴の一言

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 何かがおかしいぞ。平本先輩の予想通り、事態は急変していた。

 2日後の昭和56年10月16日、甲子園球場で小津社長と中西監督の2度目の話し合いが始まったときには、すでに「中西続投」が決まっていた。プレスルームに詰めかけた報道陣にも〈あの辞任騒動は何やったんや〉という白けた空気が漂っていた。会談後、記者会見した小津社長の話も訳が分からない。

急転、留任がきまり笑顔で会見する中西監督と田中オーナー(中央)。右端は小津球球団社長
急転、留任がきまり笑顔で会見する中西監督と田中オーナー(中央)。右端は小津球球団社長

「もう一度やって男になってほしい」

 「不振の責任はすべて私が至らなかったことで、監督の責任ではない。このままでは監督の男が廃(すた)る。いろいろ問題もあるが、もう一度やって男になってほしい-と翻意を促したところ、分かってくれた」

 成績不振の責任を監督が取らない-という前代未聞の珍事。任侠(にんきょう)の世界でもあるまいし、「男が廃(すた)る」うんぬんはお話にもならない。なぜ、こんな事態に陥ったのか、図式はこうだ。

 中西監督の辞意表明で始まったこの騒動、小津社長としては、表面上、引き留めはしたが、中西の監督としての力量、資質に疑問を感じていた。そこで慰留する一方で新監督の人選に入った。ところが、この動きに中西と同郷(香川県)の田中隆三オーナーが「彼一人の責任にするのはおかしい」と“待った”をかけたのである。

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