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【関西の議論】兵庫県で初代知事の伊藤博文像の再建が進まぬ理由 背景に歴史問題も

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 市民からも再建を望む声が上がる。県知事時代に伊藤が自宅を構えた神戸市中央区の花隈(はなくま)自治会長、浜野勲さんは「伊藤公を顕彰するためにぜひ建ててほしい。地域活性化にもつながるはず」と語る。しかし、県に再建を持ちかけた昨秋以降、色よい返事はもらえていないという。

 ■かつては2体の銅像

 銅像再建の待望論が上がるのは、神戸市でかつて市民らによって2体の伊藤博文の銅像が建てられたことがあるからだ。

 1体目は南北朝時代の武将、楠木正成をまつる湊川神社(同市中央区)に存在した。明治37年、伊藤が神社に燈籠(とうろう)を寄進したことなどをたたえて、市民らが本殿横に設置。除幕式には当時の知事も参列したという。

 しかし翌年、日露戦争後に結ばれたポーツマス条約に不満を持った群衆が暴徒化。伊藤が条約に関わっていたことから銅像は倒され、市中を引き回された。

 もう1体は現在、神戸市が管理する大倉山公園(同区)内にあった。市所有の文書「故伊藤公爵銅像建設顛末(てんまつ)」などによると、この地に別荘を構えた大倉財閥の祖、大倉喜八郎が親交のあった伊藤の死を惜しんで銅像設置などを条件に所有地を市に寄付。市民らも寄付を集め、明治44年にフロックコート姿で大日本帝国憲法草案を左手に持つ高さ約3メートルの銅像が建てられた。

大倉山公園に建てられていた伊藤博文像と台座(神戸市提供)
大倉山公園に建てられていた伊藤博文像と台座(神戸市提供)

 ただ、高台から神戸の街を見守ってきた2代目も戦時下の金属類回収令によって供出された。銅像が姿を消した後は台座のみが同公園内にそのまま残っている。

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