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【夕焼けエッセー】母ありてこそ 

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 私の生まれは和歌山県だったらしい。養母から聞かされた。実父は巡査で、実母は仲居をしていた。その関係で私が誕生した。実父には妻がいた。それにより実父は大阪の叔父を頼り、私を井岡家の養子にしてもらった。井岡家には子供がいなかったので大喜びであった。

 それから3年たち、養父は亡くなった。病名は不明であった。46歳の早死だった。1年後、養母は再婚した。良い所ばかり聞かされていたので話にのったところ、3年たちその男の正体がわかった。大酒飲みで、飲むと大暴れをし母を苦しめた。この男との間に子供が生まれ女の子であった。暴れると母は妹と2人で親戚を頼り、男から逃げた。私は独りぼっちになり、隣近所の人々に助けられ、成長した。

 男は私が中学2年生のとき、亡くなった。それから母の苦労が始まった。足袋の縫製、病院のまかない等、2人の子供のために苦労の連続であった。子供の成長を夢みて、一生懸命であった。私が学校を卒業し、働くようになると、生活は楽になってきた。それでも母は病院の清掃などをして家計を良くしようと必死であった。

 それから20年、母は苦労のため、病気になり入院した。妹は結婚をし、孫が生まれ、その成長が生きがいであった。私が45歳のとき、母は亡くなり、その死に顔は笑顔であった。お母さん、ありがとうと言って、手を握った。御苦労様、お母さん。

井岡邦日古(70) 大阪府東大阪市

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