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薩摩藩主居城「鶴丸城」の象徴復元へ 維新後焼失「御楼門」 石垣に西郷隆盛らによる砲弾痕

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鹿児島城の「御楼門」の復元イメージ(鶴丸城御楼門建設協議会提供)
鹿児島城の「御楼門」の復元イメージ(鶴丸城御楼門建設協議会提供)

 明治維新から150年、島津斉彬ら歴代の薩摩藩主が過ごした鹿児島(鶴丸)城を象徴する建造物で、維新後に焼失した「御楼門」を復元する計画が、城跡で進む。事業を担う官民の協議会は「新たな名所に」と意気込んでおり、再来年春の完成を目指して9月に起工式を行う。

 鹿児島城は天下の分け目となった「関ケ原の戦い」の後、1601(慶長6)年ごろに島津家18代当主の家久が現在の鹿児島市に築き始めた。1871(明治4)年の廃藩置県まで同家の居城だったが、天守閣はなかった。

 鹿児島県などによると、御楼門は1873(明治6)年、火災で焼け落ちた。礎石や明治期初頭の写真などから、高さと幅は共に約20メートル。完成すれば武家門として国内最大級になるという。

 城郭に詳しい鹿児島国際大の三木靖名誉教授(日本中世史)は「鎌倉時代からこの地を治めた島津家の権威を示す、広大で立派な造りの門だった」と説く。

 地元財界を中心とする有志が5年ほど前から再建資金を募り、5億円超が集まった。県や市の支出も含め、総事業費は約9億円。江戸時代中期に木曽川や長良川、揖斐川の治水工事を薩摩藩が担ったことでゆかりのある岐阜県が、ケヤキなどの材木の一部を提供した。

 石垣には、1877(明治10)年に起きた西郷隆盛らによる最後の士族反乱「西南戦争」で浴びた砲弾の痕が残る。ただ今の城跡に、薩摩藩時代や維新後をしのばせる建造物はない。

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