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散った命「知ってほしい」…偶然で生かされた自分の使命、語り継ぐ92歳元特攻隊員

旧日本海軍の特攻隊員の体験を語る庭月野英樹さん=5日、宮崎市
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 いくつもの偶然で生かされた自分の使命は、妻や子もなく命を捨てるしかなかった仲間の姿を伝えること。旧日本海軍の特攻隊員だった宮崎市の庭月野英樹さん(92)は、15日で終戦73年となる今夏も当時の体験を若い世代に語り継いでいる。

 「天皇陛下の放送を聞いたが、雑音ばかりでよく分からなかった」。夏休みでにぎわう宮崎市のショッピングモール。一角で開かれた特攻隊の資料展で5日、庭月野さんは出撃予定だった昭和20年8月15日の情景を語った。約40人の聴衆は真剣な表情で聞き入った。

 「徴兵されて死ぬのなら、飛行機に乗ってみたい」。鹿児島県の旧川辺町(現南九州市)出身の庭月野さんは17歳だった18年春、民間パイロットの養成所に入所。卒業後、海軍航空隊に召集され、沖縄県で輸送船護衛に従事。20年3月に配属された石垣島では空襲で兵舎が燃え、壕に身を寄せながら仲間と小屋を建てている時、攻撃を受けた。わずか数十センチ先にいた1人が撃たれ、死亡した。

 戦局が悪化すると、特攻隊に配属され、千葉県で出撃を待った。次々と同じ年代の仲間が飛び立った。「命が惜しいという考えはなく、自分たちがけりをつけるんだと思っていた」と当時の気持ちを振り返る。

 玉音放送が流れた後も、徳島県の山中に「神風特別攻撃隊」と書かれたのぼりを立て出撃の合図を待ち続け、約1週間後に解散を命じられた。

 戦後は、「もう一度空を飛びたい」と海上自衛隊で教官を務めた後、宮崎市にある航空大学校の教授になった。市内にも特攻基地があったが、その存在を知る人は少なくなっている。

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