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【今週の注目記事】特攻隊員出撃の鶉野飛行場跡が熱気球の聖地に 変わる戦争遺跡 

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【今週の注目記事】
特攻隊員出撃の鶉野飛行場跡が熱気球の聖地に 変わる戦争遺跡 

 先の大戦中、海軍航空隊の搭乗員養成のため建設され、多くの特攻隊員が戦地へ飛び立つ拠点となった鶉野(うずらの)飛行場(兵庫県加西市)の跡地が今、熱気球の「聖地」として生まれ変わろうとしている。跡地にはコンクリートで造成された滑走路や地下防空壕(ごう)、機銃座などがいまも残る。地元の加西市は、空を飛ぶための好条件がそろった立地を生かして熱気球を飛ばすイベントを定期的に開催。地元住民もガイドツアーの実施など戦争遺構の活用を推進する協議会を立ち上げた。(荒木利宏)

鶉野飛行場跡から離陸する熱気球=兵庫県加西市 鶉野飛行場跡から離陸する熱気球=兵庫県加西市

飛行適地として

 今年4月22日、熱気球好きの社会人や大学生らの16チームが鶉野飛行場跡に集結し、快晴の青空のもと色とりどりのバルーンを空に浮かべた。

 周辺は高層建築や住宅密集地がなく、田園地帯が広がる。気流も緩やかで、飛行場跡では農閑期にあたる11~5月に熱気球の愛好家が集まり、フライトを楽しんでいる。初参加という同志社大1年の木村友音さんは「のどかな風景を眺めることができて楽しいフライトだった」と笑顔をみせた。

 離着陸の場所が確保しやすい鶉野飛行場跡は、軍事施設としての役割が終わった後、空にあこがれる若者をひきつけてきた。昭和40年代(1965年~1974年)には同大を中心とした関西圏の大学航空部がグライダーの練習場として利用し、合宿や大学対抗の競技会を開催。全国的に滑空練習場が整備されるまでの一時期は、鶉野の空をグライダーで飛行する大学生の姿がよく見られた。

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 同大航空部OBの南村清治さん(71)は「上昇気流が出やすく記録が伸びる場所だった。当時は特攻隊員が訓練し、出撃した場所だとは知らなかった」と振り返る。

今年3月のモニターツアーで公開された鶉野飛行場の地下防空壕=兵庫県加西市 今年3月のモニターツアーで公開された鶉野飛行場の地下防空壕=兵庫県加西市

 その後、飛行場跡は活用されず放置されたが、加西市が平成27(2015)年度から飛行場跡の周辺整備に乗り出し、遊歩道や案内板の設置に着手。前後してフライトに最適な条件がそろっていることに目をつけた熱気球の愛好家らが飛行場跡で飛ばすようになり、活動を支援する地元団体が結成されるなどムードが高まった。

 28年には加西市が熱気球に関する全国初の条例「気球の飛ぶまち加西条例」を制定。周辺住民と共存できる安全飛行を義務化するとともに、フライトには市への登録申請を義務づけるなどの独自のルールを定めた。

戦争遺跡以外の価値を

 鶉野飛行場は大戦中の昭和18(1943)年、戦局の悪化に伴いパイロットを養成する必要に迫られた旧日本海軍が、兵庫県南部の内陸部に位置する鶉野の地に建設した。

鶉野飛行場跡の上空を飛ぶ熱気球=兵庫県加西市(同市提供) 鶉野飛行場跡の上空を飛ぶ熱気球=兵庫県加西市(同市提供)

 飛行場の隣には、当時の航空機メーカー、川西航空機の工場も設けられ、当時としては最新鋭の戦闘機「紫電改」などを製造。20年3月からは飛行場から神風特攻隊「白鷺(はくろ)隊」の21機63人が九州の串良(くしら)基地(鹿児島県)を経由して沖縄に向けて出撃し、非業の死を遂げている。

 鶉野は都市化の波が及ばなかったことで、結果として滑走路や防空壕などの遺構は保全されてきた。そんな鶉野飛行場跡の保存活動に関わってきた組織や住民らは今年7月19日、「うずらの遺産ツーリズム推進協議会」を設立。防空壕内部などを案内するガイドの養成を始めた。

当時ままの滑走路、防空壕、対空機銃座…そして

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