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平安京最大級の池は埋められていた! 藤原頼通邸「高陽院」…後鳥羽上皇の御所建設の可能性 京都・発掘調査で確認

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 柱穴跡も

さらに埋め立てた跡の上面からは建物の存在を示す柱穴跡が数カ所出土。一緒に出土した土器や瓦片などから、13世紀前半に池を埋めたうえで新たに建物を建てた可能性が高いことが分かった。

 高陽院は、頼通が治安元(1021)年に現在の上京、中京両区にまたがる堀川丸太町付近の2町(長さ約250メートル)四方に造営。後一条天皇が行幸(ぎょうこう)して行われた競馬の様子を描いた「駒競(こまくらべ)行幸絵巻」が有名で、池の大きさもこれまでの発掘調査で南北が約140メートルだったことが判明している。

4度焼失

 その後4度焼失し、その度に再建。元久2(1205)年には後鳥羽上皇が4町(2町四方)から2町に縮小し、御所として院政の拠点とした。その後、上皇が鎌倉幕府に対して承久3(1221)年に起こした承久の乱の計画を立て、乱の最大の決戦地の宇治川で幕府軍に敗退した後に扉を閉めてこもった場所とされる。

 同社では今回の埋め立ては後鳥羽上皇が御所として造営した際に行われたと推定。後鳥羽上皇時代に建物が100棟余り存在したという記録から、同社は埋め立てが池全体で行われた可能性もあるとしている。

 網伸也・近畿大教授(考古学)は「池も火災の度に形を変えることは調査の中で証明されてきたが、晩年の姿については遺構でこれまで証明されたことがなかっただけに、貴重な発見といえる」と話している。

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