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【午後のつぶやき】彼のいないパリには…

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【午後のつぶやき】
彼のいないパリには…

 2011年-。あの大地震が日本を襲って間もなく。フレデリックは高齢の母親と日本にやってきた。パリからの飛行機もなく、辛うじて飛んでいたローマ経由のイタリア便に乗って。ヨーロッパでは原発崩壊による放射能の噂が渦巻いている最中で、それでも彼は母親を連れ敢然と東京の街に降り立った。そして私の家を拠点に、関西方面へ出かけたり、友人と食事をした。別れ際に「こんなときによく来てくれたな」と私は言い握手したフレデリックの目に珍しく涙が浮かんだ。まさかそれが彼に会う最後になるとは夢にも思わなかった。

 翌年のゴールデンウイーク。長編小説を書き終えた頃。パリから電話が入った。胃がんと診断されたという。思わずお母さんのことかと聞いたら、自分のことだという。しかしがんも今は治るからと軽く考えていた。その年の秋に何度目かの手術をし、脳に転移が見つかり、体重は30キロもやせてしまった、と連絡があった。今は母親のアパートで暮らしているという。その深刻さに胸がうずいた。

 12月のある日、母からメールが届いた。「フレデリックはもう話すこともできません。彼のために祈ってあげてください」

 12月24日に天に召された。享年は47歳。以来、私は一度もパリに行っていない。もう二度と行くこともないかもしれない。(作家)

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