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出世か庶民救済か…思い悩んだカリスマ僧侶 行基生誕1350年、吉田靖雄・大教大名誉教授に聞く

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 今年、生誕1350年を迎えた奈良時代の名僧、行基(668~749年)。庶民に寄り添い、「菩薩」とまで崇(あが)められたカリスマ僧侶の姿は、今も多くの人を惹(ひ)きつけてやまない。行基はなぜそこまでして民間布教に努めたのか。さらにはなぜ橋や池の整備を進め、聖武天皇が発願した東大寺の大仏造立にも貢献したのか-。生誕地を拠点とする「堺行基の会」会長を務める吉田靖雄・大阪教育大名誉教授(79)に聞いた。(岩口利一)

喜光寺に安置されている行基菩薩坐像=奈良市
喜光寺に安置されている行基菩薩坐像=奈良市

 --行基のどこに最も惹かれますか

 吉田氏 まずは郷土(堺市)の先輩として興味を持った。行基さんの時代はいかに民間に仏教を広めるかというのが課題だったが、僧は一種の国家公務員で、政府、貴族らが建てた寺に住むことが義務づけられ、民間布教活動などは制限されていた。布教を志しながらもやめてしまう僧が多く、行基さんは迷っただろう。49歳の頃まで迷い続けた後、覚悟を決め布教に出ていった、その志の強さが魅力。

 --民間布教に進むきっかけがあったのでしょうか

 吉田氏 行基さんは若い頃に法興寺(飛鳥寺、明日香村)に入ってどう生きるべきか考え、中国の坊さんの伝記を探した。そんな中、「三階(さんがい)宗」の教えがヒントになったのだろう。この宗は徹底的に民衆の中に入り、身なりや住居は構わずに仏教を説き聞かせることを志すものだった。

 --だが、迷いに迷った

 吉田氏 当時の坊さんは官寺で修行し、役職に就いた。天皇の病気が回復するよう経を唱える役など出世の段階がいくつもあり、そうしたルートに乗ろうと皆が寺で勉強した。民間布教に出るのはそれから外れることを意味したので、行基さんは迷った。

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