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ガダルカナル島(上) あこがれの伯父 遺品はベルト通し一つ 

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ガダルカナル島(上) あこがれの伯父 遺品はベルト通し一つ 

江本金次郎氏(中央)が実家に送った写真。戦闘の合間に撮影したと思われる 江本金次郎氏(中央)が実家に送った写真。戦闘の合間に撮影したと思われる

 中国大陸からボルネオ島、フィリピン。精強部隊は、激戦地を渡り歩いた。

 17年8月、ガ島に米軍が上陸した。124連隊は、米軍を島から追い落とす作戦に投入された。

 ガ島は「餓島」だった。

 補給がままならず、日本軍は、敵軍に加え、飢えや病気との戦いに苦しんだ。

 「乾パンはもちろん、コンペイ糖まで粒で数えて配られ、ミカンも1個を数人で分けて食った。それも不足すると、ハチやアリの巣を捜してゆがき、レンコンのように刻んでほおばり、木の実を拾った。1メートル以上もある大トカゲを撃ち殺してたいらげ、大トカゲが一匹もいなくなると、チョロチョロと赤い舌を出してはい回るトカゲをも食い尽くした」(杉江勇著「福岡連隊史」)

 それでも、124連隊は島を見下ろす要地、アウステン山を守り続けた。

 ガ島から、全ての日本軍が撤退したのは18年2月だった。3千人以上いた124連隊は、200人余りになっていた。

 高崎氏の「最悪の戦場に奇蹟はなかった」にはこうある。

 「ガ島で餓死、あるいは戦病死した者たちは、そこがあまりにも悲惨な戦場であったため、全員が戦死とされ(中略)ガ島の戦死者2万余名で、真の戦死者は4分の1以下であろうか」

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