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【広島原爆の日】被爆した元プロ野球・張本さん姉 「悲しい。でも、語らねば」

兵庫を中心に被爆体験の語り部を続ける小林愛子さん。核兵器廃絶を要望する署名も集めている=7月23日午後、兵庫県加古川市(西山瑞穂撮影)
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 「はよ勲(いさお)と逃げんさい」。73年前の夏、原爆の爆風で倒壊した家の下で、母が叫んだ声が今も耳に残る。当時7歳だった小林愛子さん(80)=兵庫県加古川市=は、まだ5歳だった弟で元プロ野球選手、張本勲さん(78)の手を引き、広島の街を2人で逃げた。母は無事だったものの4歳上の自慢の姉を亡くした。一時は記憶に蓋をしたが、今は子供らに被爆体験を伝えている。「思い出すのは恐ろしく悲しい。でも、語り続ける。核兵器をなくしたいから」

 ■はよ逃げんさい

 昭和20年8月6日、よく晴れて暑い日だった。兄と姉は早朝から勤労奉仕に出かけ、爆心地から約1・5キロの自宅には小林さんと張本さん、母の3人が残っていた。「ドーン」。窓の外の真っ赤な閃(せん)光(こう)に目を向けた瞬間、すさまじい衝撃に見舞われた。家は崩れ、2人をかばった母は窓のガラス片を全身に受けていた。

 母に「はよ勲と逃げんさい」と促され、弟とともに燃えさかる街の中心部とは逆方向に向かった。普段は透明な川が赤茶色ににごり、死体や皮膚が溶けて「熱い、痛い」とうめく人で足の踏み場もない。逃げる間、あまりの恐怖に声も涙も出なかった。記憶も断片的にしか残っていない。

 一晩か二晩を2人で過ごしたのだろうか。気がつくと、母と兄が待つブドウ畑に立っていた。「よう生きとった」。母に抱きしめられ、初めてせきを切ったように泣きじゃくった。その後、美人と評判で自慢だった姉の点子さんが大やけどを負って見つかった。翌日、横たわった姉の胸をたたきながら泣く母の姿をみて、姉は亡くなったのだと理解した。

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