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【ミナミ語り場】波乱の人生、この街とともに…弘昌寺住職・トリイホール代表の鳥居弘昌さん

「両親が愛したこの街をずっと守っていく」と語る鳥居弘昌さん=大阪市中央区(須谷友郁撮影)
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 商店街の雑居ビルに埋もれるように「千日山弘昌寺(こうしょうじ)」はある。もともとはカフェだったビルの一室で、軒下に護摩壇(ごまだん)が設けられているものの、気づかずに通り過ぎる人もいるだろう。

 「さっき飲食店の見本を盗ろうとしていた子が『あっ、坊さんがいてる』と手を引っ込めたんです。僧侶の格好にはなんらかの抑止力があるんでしょうね。とくに繁華街には坊さんがいるんちゃいますか」

 こう話す同寺住職の鳥居弘昌さん(58)は近接する劇場「トリイホール」の経営者でもあり、「まさか自分が坊さんになるとは思ってもいなかった」と打ち明ける。

 千日前にあった老舗旅館「上方」の跡継ぎとして育った。八代目松本幸四郎さんや古今亭志ん朝さんら多くの著名人に愛され、桂米朝さんもここで上方落語大全集を執筆したという。

 「裏玄関を出たら角座の楽屋口でしたから、泊まっていた芸人さんにはかわいがってもらいました。夕方になると芸者さんらがいっぱい来て宴会が始まり、その席に小学生の僕もちゃっかり座っているんです」

 一人息子だったにもかかわらず旅館を継ぐ気がなかった鳥居さんは大学卒業後、大手百貨店に就職した。両親が亡くなり旅館の廃業を機に退社。平成3年に上方ビルを竣(しゅん)工(こう)し、若手芸人の育成・研(けん)鑽(さん)の場としてトリイホールを立ち上げた。

 そんな鳥居さんに突然、転機が訪れた。実の両親が現れたのだ。「私らの子供やねん。今までだましていて申し訳ないといきなり土下座するから、ちょっと待ってくださいと。まるでドラマみたいでしょ」

 悩んだ末、親交のあった僧侶から「仏門に入れば、生みの親、育ての親に関係なく菩(ぼ)提(だい)を弔うことができる」と勧められ、6年10月に京都・山科の勧修寺で得度した。

 「弘昌」という僧名を授かり、改めて街を見直して愕(がく)然(ぜん)とした。バブル崩壊後のミナミは、風紀が乱れ、治安の悪化とともに人通りも少なくなっていた。

 「もっとたくさんの人に来てもらうには、まず街の雰囲気を良くせなあかん」と南署に日参し、商店街や町会内に防犯カメラを設置。墨染めの僧衣を身に付け地元商店会などと環境の向上に奔走した。

 24年8月に弘昌寺を開いた。道頓堀川にかかる相合橋上での護摩法要や夏祭りの船渡御などの行事を定着させ、インバウンド(訪日外国人客)も追い風となり、「いい街になった。街を愛する人がいたら街は変わる」と言い切る。

 鳥居さんにとってミナミは人生そのものだといい、「両親が愛したこの街をずっと守っていくのが一番の親孝行」と心に誓っている。   (上岡由美)

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