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【歴史インサイド】「碁盤の目」平安京に長年残された手つかずの土地とは

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【歴史インサイド】
「碁盤の目」平安京に長年残された手つかずの土地とは

平安京南東隅の地図 平安京南東隅の地図

 こうした見方を裏付ける調査結果もある。民間調査団体「関西文化財調査会」が調査した現JR京都駅駅舎の東隣にあたる、左京八条四坊二町=地図の(3)=は南北道路・東洞院大路の想定地だが、遷都当初に造成された大路跡は出土しなかった。

 吉川義彦代表によると、調査地は平城京から遷都当初は沼地のような湿地だったという。その後、12世紀末(平安時代末期~鎌倉時代初期)に行われた工事で道路ができあがっている。

 「木片からごみの類いまで、ありとあらゆるものを入れ込んで沼を埋めている。土を盛って小石を敷き詰めたうえで、頑丈に道路を完成させている」と吉川代表。一種、強引ともいえるような造成方法で、平安遷都から約400年後の平安時代末期になってようやく「碁盤の目」の景観が整えられたことになる。

 吉川代表は「当時これだけの大規模な造成を迅速にできるだけの人員を投入できたのは、当時勢力を持っていた源氏か平家のいずれかの武士団だろう」と推測する。

仏堂ブーム、八条院も

 この地に開発の手が入るようになるのは、院政期にあたる12世紀前期から。多くの仏堂が建てられており、京都市埋文研の南課長は「私貿易や荘園からあがってくる資金を元に天皇・上皇やその近臣、高級貴族が建てたのだろう」と推測する。

 今回の左京九条三坊八町の仏堂跡について、網伸也・近畿大教授(考古学)は「京の南東隅でにわかに起きた堂の建設ブームの中でも最後期にあたるもの」と位置づける。

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