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平城京の道路遺構、なぜ廃絶…深まる謎 十条整備後か資材置き場か

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平城京の道路遺構、なぜ廃絶…深まる謎 十条整備後か資材置き場か

平成30年2月から3月に行われた調査で発見された道路遺構。現在は埋め戻されている=平成30年3月、奈良県大和郡山市(大和郡山市教委提供) 平成30年2月から3月に行われた調査で発見された道路遺構。現在は埋め戻されている=平成30年3月、奈良県大和郡山市(大和郡山市教委提供)

 奈良県大和郡山市の平城京南方遺跡・右京域で見つかった道路遺構。「当初は『十条』として整備するため施工したが、計画が変更された」「京域には含まれず、都の造営に利用された資材置き場では」-。平城京跡と同規格の遺構をめぐって、研究者の見解は分かれている。

 平城京の南側とされていた九条大路よりさらに南に位置する左京域で、条坊遺構が初めて見つかったのは平成17年。定説を覆すには右京域の解明が不可欠だった。今回の発見で、京の変遷を知る上で重要な成果が得られたといえる。

 大阪府立近つ飛鳥博物館の舘野和己館長(古代史)は「最初は『十条』部分まで造られたことが、ほぼ確実になったといっていい。その後、九条まで縮小されたのだろう」と指摘する。

 平城遷都以前に都が置かれた奈良盆地南部の藤原京は「十条」だった説が有力で、平城京もこれに合わせて施工された可能性があると見る。ではなぜ、今回出土した条坊は奈良時代中頃には埋められたのか。

 「『十条』として造りかけたが、陰(偶数)と陽(奇数)の関係で変更したのかもしれない」。奈良県立図書情報館の千田稔館長(歴史地理学)はそう話す。平城京の東西は各四坊で陰、南北は九条で陽の数だ。奈良大の東野治之名誉教授(古代史)も「『十条』をやめたのは『九』でないとおかしいと思ったのでは」と推測する。

 一方、今回の発掘現場は京域に含まれないとする見方もある。三重大の小澤毅教授(考古学)は「都の造営には多くの人々が動員され、資材置き場や工事を管轄する事務所も必要だったはず。この場所は平城京外に当たり、不要になって廃絶された」と話していた。

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