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平城京、右京にも「十条」大路か 京域外で道路跡発見 奈良中期には埋められ

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平城京、右京にも「十条」大路か 京域外で道路跡発見 奈良中期には埋められ

 奈良県大和郡山市の平城京南方遺跡・右京域(西部分)で、東西方向と南北方向に延びる計2本の道路跡が見つかり、市教委が8日、発表した。現場はこれまで平城京の南端とされてきた九条大路よりさらに南側にあり、定説を覆す「十条」にあたる遺構だという。ただ、平城京が存続していた奈良時代中頃までには埋められており、京のエリアをめぐっては議論を呼びそうだ。

 調査地は九条大路にあった正門「羅城門」跡の南西部。昨年3月と今年2~3月の調査で、南北方向と東西方向に走る奈良時代の道路遺構が計2本出土した。

 南北道路は京内道路の延長上にあり、市教委は「西一坊坊間西小路」(側溝間約5・4メートル)と判断。東西道路は九条大路と十条大路の中間の「十条条間路」(同約9メートル)とみられる。

 以前にも左京域(東側)で「十条大路」とみられる遺構が確認されたことがあり、今回、右京域でも確認されたことで、九条大路以南でも、京域と同様の規格で条坊が整備されていたことが分かったという。

 市教委の十文字健主任は「なぜここで施工され、埋められたのか…。平城京がどういう過程を経て、造営されたのかを知る重要な発見」と話している。

 発掘現場はすでに埋め戻されており、現地説明会は開かれない。

【平城京】710~784年、藤原京から遷都して長岡京に移るまで、奈良盆地北端に置かれた都。碁盤目状の都市区画「条坊」が広がり、京の中心部は南北九条(約4・8㌔)、東西は朱雀大路を挟んで各四坊(計約4・3㌔)に区画された。左京(東側)と右京に分かれ、左京のさらに東には外京と呼ばれる区域も。人口は推定5~?万人だったとされる。

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