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【正木利和の審美眼を磨く】まなざしは何を語る 日本画家・広田多津の描く舞妓

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 華岳にとっての職業としての舞妓は、広田によって人間としての舞妓に置き換えられている。

 ところが、自身の古希を前にして、彼女の描く舞妓も変わってゆく。

 1970年代半ばから、広田の舞妓にははっきりと黒い瞳が描かれ始めるのである。

 それと同時に、舞妓たちからは恥じらいや媚(こ)びが消え去り、かわって健康ではつらつとした、たくましい舞妓像が登場する。

 それは華岳や麦僊が描いた少女っぽい舞妓とは異なる、広田が独自に生み出した、現代に生きる生身の娘たちの舞妓の姿といってもいい。

 少しツンと上を向いた鼻、肉感的な唇。退廃的な雰囲気などみじんもまとうことなく、健康的で少々いけずそうな若い女たち…。

   ■    ■

 離婚後、制作活動一筋に取り組んだ広田は、その作品が64歳のときに文化庁買い上げとなり、その後も73歳で京都日本画専門学校の校長に就任、さらにその翌年には京都府・市の文化功労賞を受賞するなど、着実に画家としてキャリアを積み上げていく。

 うつむいていた舞妓が、その顔をあげ、そしてつぶったような目に黒い瞳が描かれるようになってゆく過程は、まさに日本画家、広田多津が自信を積み上げながら成長してゆく道のりと重なっているのである。

 そう、目は口ほどにものをいい、というのは、絵画も同様。

 だから、自信を失いかけたときには広田の描いた舞妓の顔を思い出す。

 すると、不思議なことに少し元気が出てくる。

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正木利和 正木利和 産経新聞文化部編集委員。入社は、いまはなき大阪新聞。産経新聞に異動となって社会部に配属。その後、運動部、文化部と渡り歩く。社会人になって30年強になるが、勤務地は大阪本社を離れたことがない。その間、薄給をやりくりしながら、書画骨董から洋服や靴、万年筆に時計など、自分のメガネにかなったものを集めてきた。本欄は、さまざまな「モノ」にまつわるエピソード(うんちく)を中心に、「美」とは何かを考えながら、つづっていこうと思っている。乞うご期待。

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