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【千田嘉博のお城探偵】CASE10 地震に学んだ伏見城 復興と備え 今に伝え

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 最優先で伏見城の再建を進めた秀吉に対して、大名とその家臣たちは不満を募らせた。木幡山伏見城の工事現場は殺伐としていたらしい。徳川家康は工事現場で問題が起きて、豊臣の武士に徳川の武士が殺されても我慢せよと法度(はっと)で定めたほどだった。そうした工事の末にできた木幡山伏見城は豪華を極め、石垣や堀も堅固だった。大坂城と比べてつくりに遜色はなく、木幡山伏見城は政治拠点と同時に強力な軍事拠点であった。

 木幡山伏見城の周囲に諸大名は改めて屋敷を建設した。そうした大名屋敷のひとつに前田利家・利長の屋敷があった。前田屋敷は大手筋に面した一等地にあり、一辺が200メートルに達したほどの巨大さだった。2015年にその一部を京都市が発掘して、驚くべき成果があった。

 調査を担当された奥井智子さんのご教示によれば、前田屋敷の敷地は少なくとも2メートル以上にわたって突き固めた人工地盤の上に建っていた。耐震性を高めるには敷地地盤の強さが大切だと利家たちは考えたのだ。それだけでもすごいのに、御殿の柱を支えた基礎の石・礎石の設置位置については、固い人工地盤をもういちど掘り返し、改めて石と粘土を互層にたたき締めて礎石の沈下を防いでいた。

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