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最新の国宝・松江城天守 日本の城を知り尽くした男が「6万6千分の5」の魅力を語る

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最新の国宝・松江城天守 日本の城を知り尽くした男が「6万6千分の5」の魅力を語る

国宝松江城天守。手前にあるのが付櫓 国宝松江城天守。手前にあるのが付櫓

 私たち城郭研究者の間では、関ケ原の合戦があった慶長5(1600)年から約10年間の城造りを「慶長の築城ラッシュ」と呼んでいる。合戦の論功行賞で大名の大規模な増減封が行われ、各大名が全国に移っていく事態になり、すべての労働力が築城に費やされたといえる時代だった。

 そこでは、2つの築城のパターンが認められる。1つは、既存の城に入って改修し、自らの居城とするケース。出雲国の隣、伯耆国(ほうきのくに)には中村一忠(かずただ)という大名がやって来て、吉川広家(きっかわ・ひろいえ)の居城だった米子城を改修して入った。また、小早川秀秋(ひであき)も宇喜多秀家(ひでいえ)の岡山城に、福島正則も毛利輝元(てるもと)の広島城にそれぞれ入った。

 もう1つは、いったん旧城に入るが、新たな拠点を作るケース。松江城の場合、堀尾吉晴・忠氏(ただうじ)親子がまず月山富田(がっさんとだ)城に入るが、城地を選定して松江で築城を行った。同様に、筑前に移った黒田長政もいったん小早川隆景(たかかげ)の居城だった名島(なじま)城に入るが、すぐに福岡城の築造を始めた。山内一豊も長宗我部盛親(ちょうそかべ・もりちか)の浦戸城に入ったものの、すぐさま高知城の築造に着手した。

築城、開始まで7年間も…さらに興味深い「支城」そして…

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