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宮滝遺跡で大規模建物跡 飛鳥時代の離宮「吉野宮」正殿か

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 こうしたなか、宮滝遺跡で昭和5~13年に実施された第1次調査で、奈良時代の瓦や石組み構跡が出土。さらに50年からの調査で、飛鳥時代に人工池と関連施設を備え、全体が巨大な庭園として機能していたと推定されるようになった。

 橿考研の菅谷文則所長は「内裏正殿や大極殿のような格式高い建物だったと思われる。遺跡が吉野宮であることを決定づけた」と話している。

 吉野宮日本書紀や続日本紀などの記述によると、斉明2(656)年に造営。大海人皇子(のちの天武天皇)が壬申の乱の際、吉野宮に籠ったとされる。大海人皇子は即位後も行幸し、その皇后だった持統天皇は在位時と退位後合わせ、34回も行幸したという。その後も文武、元正、聖武天皇が「吉野離宮」「芳野(吉野)宮」に行幸している。また、万葉集や懐風藻(かいふうそう)には、天皇の吉野宮行幸に随行した際に詠まれた、美しい風光をたたえる歌や詩がみられる。

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