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【実録 韓国のかたち】第4部(4)韓国人にとって幸か不幸か 左翼勢力が担いだのは「極端な共産嫌い」だった…

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 李は米国を拠点に独立運動を続けていたが45年10月16日に韓国に帰国した。重慶の「大韓民国臨時政府」主席の金九(キム・グ)より一足早かった。

金日成と話し合っても無駄?

 当時、左翼勢力は急進共産主義勢力と合作してソウルに「朝鮮人民共和国」を発足、こともあろうか李を主席に指名していた。韓国の人々は李がどんな考えをもっている人かを十分理解していなかったからだ。

 帰国演説で李は「民族大同団結」を呼びかけ、すぐに独立促成中央協議会(促成会)を発足して65の政党を一堂にあつめた。帰国からわずか1週間で李は主要政治勢力の代表に躍り出た。

 李は、左右を問わず群小政党を一つにまとめようと試みるが一番の障害は朴憲泳(パク・ホンニョン)率いる朝鮮共産党だった。李は朴と長時間の単独会談を行うが共産主義を極端に嫌う李と急進的共産主義者の朴に接点はなかった。

 一方の北朝鮮では地方から中央まで人民委員会がつくられ、ソ連式国家建設が着々と進んでいた。46年2月、金日成が委員長に就任し共産主義勢力以外の政党・団体の存在を排除した。そして南側には統一政権樹立を呼びかけた。

 「金日成の平和攻勢の目的は南韓(韓国)に政府が樹立されるのを阻止することでした。南韓の政治勢力を分裂させ、共産主義勢力のみを抱き込み、南北全体を支配する政府をつくることでした」(ヤン・ドンアン韓国中央研究院名誉教授)

 李がそのときすでに金日成の本当の目的を看破していたかどうかはわからないが、金日成の呼びかけに応じて南北連席会議参加をきめた金九に対し、こう言い放っている。

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