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【関西の議論】始まりは一本の電話…「過労死110番」30周年 遺族「これからも駆け込み寺に」

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 悟さんは大手企業の工場に勤め、ベアリングの生産ラインの現場で約30人の部下をまとめる班長をしていた。定員を割り込む人手不足の状態の中、自らも生産ラインに立った。亡くなるまでの51日間は休みがなく、連続勤務だった。「フル操業で機械さえ故障するのに、人間が健康に生きられるはずがありません」

指折り数えた開設日

 悲しみに暮れる日々だったが、約2カ月後の4月、新聞記事が目に留まった。その日の夜に大阪市内で開催される「過労死シンポジウム」の告知。働き盛りのサラリーマンが脳出血や狭心症で急死したと伝えていた。

 「『過労死』の3文字が夫の死と重なり、衝撃を受けた。このときから生活が一変した」。これが転機となった。

 最寄り駅を降りてたどり着いた会場には、大勢の人が集まっていた。後方の席に座って話に耳を傾けた。そこで4月23日に「過労死110番」が初めて開設されるのを知った。偶然にも開始日の4月23日は、悟さんの2度目の月命日。開始時刻の午前10時ちょうどに電話をかけた。

 「今となっては内容は覚えていない。だが、きっと長い時間だったと思う」

 誰にも話せず、胸の内にとどめていた感情を打ち明けることができ、受話器の向こうには受け止めてくれる人がいた。「わかってもらえたことは、たとえようのない安心感だった」。

 この日に寄せられた相談は18件で、うち16件が過労死関連だった。ほとんどが、平岡さんと同じ妻からの電話だった。

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