PR

産経WEST 産経WEST

【関西プチ遺産】国家政策でなくなっても地域信仰は消えず 為志神社

地元の人々の手で再興された為志神社=奈良県葛城市
Messenger

 田んぼの中に小さな森。足を運んでみると為志(いし)神社というお宮だった。境内に「為志神社遺蹟(いせき)」の石碑があり、傍らに昭和57(1982)年10月17日の日付で、以下のような由来が記されている。

 為志神社は、平安時代の延喜式には忍海(おしみ)郡二社の筆頭に記載される由緒正しい神社であったが、明治39(1906)年に出された神社の数を減らし合祀(ごうし)せよとの国からの勅令で、明治43年2月8日に葛木坐火雷(かつらきいますほのいかづち)神社(笛吹神社)に合祀された。だが、廃社後も人々は社殿の跡に為志神社遺蹟の石碑を建て、あたかも社殿に対するようにこれを崇敬してきた。人々の志が実って社殿を再建し、祭神を還(かえ)し為志神社の再興が成就した、と。

 政府からの命令で別の神社に合祀されてしまった為志神社だったが、人々の心は折れることなく、本来の地で神様への信仰を続け、神社を再興したのである。

 明治政府は神道を重視し、神道を中心に据えた政治を行ったと何となく思いがちである。しかし、重視したのは国家の方針にとって必要な神・神社であった。いかに地域の人々にとって心のよりどころとなっていたとしても、政府の方針と直接合致しない神・神社は、整理・統合されてしまったのである。

 為志神社は、時の国家政策と地域信仰のありようを伝える。(伊藤純)

 近鉄御所線新庄駅から南西へ約1キロ

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ