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【夕焼けエッセー】網走番外地

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 私は嫁ぐ前、夫の母に何気なく「どんな歌が好きですか」と聞いた。母は「網走番外地」と答えてニッコリと笑った。その時私は固まったまま丸い目をして母を見つめていたことを覚えている。良妻賢母の母とあまりにもかけ離れた歌の名であったから。

 あれから長い年月を共にして、九十半ばまで元気であった母が最後の一月余りを病院でお世話になった。亡くなる二日前にリハビリの先生がノートパソコンを開いて歌を聞かせてくれた。何曲か歌が流れたが母はずっと眠ったままであった。

 私は突然何かに突き動かされて「網走番外地をかけてください」と叫んだ。ふり向いた先生の顔はあのときの私と同じであった。「母の一番好きな歌なのです」と私は再度お願いした。年若い先生はその歌を知らず、それでも熱心に探し出してくれて「あった。ありました」という声とともに病室に静かな旋律が流れてきた。

 哀(かな)しそうな淋(さび)しそうな、それでいて優しく温(ぬく)もりのある歌であった。先生と私が無言で聞き入っていると母がかすかに歌を口ずさんでいた。一筋の泪を光らせて微(ほほ)笑(え)みをたたえて唄(うた)っていた。私はあのころ流れていた歌を思い出すまま先生にお願いした。

 柿の木坂の家、花笠道中、別れの一本杉-

 母はあの時代を自由にたゆたっているようであった。思い出の中に無心で遊んでいるようであった。私もいつしか共に思い出の中をたゆたっていた。網走番外地は母の心の底に流れていた旋律であり、素朴で温かい情であったように思う。

宇野愛子(73)香川県琴平町

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