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【今週の注目記事】古代史の“七五三論争” 日本国はいつ誕生したか、天皇制につながる卑弥呼の統治

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 遺跡中心部のJR桜井線・巻向(まきむく)駅近くで平成21年、東西に一列に並んだ3世紀前半の国内最大級の大型建物跡(南北19メートル、東西12メートル)など4棟が見つかった。卑弥呼が中国に使者を送ったと中国の歴史書「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」に記された239年とほぼ重なり、邪馬台国中枢部の可能性が一気に高まった。

 「邪馬台国、女王の都するところなり」

 魏志倭人伝は、卑弥呼のいた場所についてこう記している。

 「卑弥呼は邪馬台国の女王とよく言われるが、そうではない。邪馬台国を含む倭国全体の女王。居住していたのが邪馬台国」と寺沢さん。そのうえで、「纒向遺跡は邪馬台国の中心であり、卑弥呼は発掘された大型建物で政(まつりごと)を行い、倭国の首都だった」と指摘する。

 纒向遺跡では、約2700個もの桃の種、香辛料に使われるバジル、ベニバナの花粉も出土。ベニバナは古代エジプトではミイラを巻いた布、中国でも染料として使われた。桃は、仙人が暮らす中国の理想の地「桃源郷」を連想させる。バラエティーに富む発掘成果は、中国との外交を通じてシルクロード文化を積極的に取り入れていたことを物語る。

 外交に長けた女王

 「汝(なんじ)をもって親魏倭王となし、金印紫綬(しじゅ)を与える」。魏志倭人伝は、239年に卑弥呼が中国・魏に使者を送り、魏の皇帝が卑弥呼を親魏倭王に任命し金印を授けたと記す。今から1800年近く前、決して対等ではなかったが、日本と中国で外交関係が築かれていたことがうかがえる。

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