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【維新150年 大阪の痕跡を歩く】新たな国づくりを模索した「勝海舟」拠点にしていた「専稱寺」

勝海舟が住んだ専稱寺の跡を示す銘板。大阪海軍塾として坂本龍馬ら多くの門下生が学んだ=大阪市中央区(柿平博文撮影)
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 御堂筋と堺筋のちょうど真ん中、三休橋(さんきゅうばし)筋を歩く。取材で訪れて以来、二十数年ぶりである。船場(大阪市中央区)の「背骨」といえる通りはおしゃれなプロムナードに変わっていた。

 電線の地中化で電柱はなく、拡幅された歩道には約50基のガス灯が連なる。繊維のまちの象徴だった「綿業会館」(国重要文化財)など、大正から昭和初期の近代建築が多い通りだったが、最近はその街並みに溶け込むカフェやレストランが増え、レトロモダンな光景を醸し出している。

 綿業会館から北に約150メートル、地下鉄本町駅から5分歩くと、見慣れたビルに着いた。貸し会議室などでよく使われるAAホールは最近、堺筋本町に移転したが、ビルの前には今も銘板がある。「勝海舟寓居(ぐうきょ)・海軍塾(専稱寺=せんしょうじ)跡」。幕末の英傑、勝海舟が大坂の住まいとした専稱寺は、後に坂本龍馬や近藤長次郎らに海軍を教えた私塾「大坂海軍塾」でもあり、いわば海援隊の原点となった場所だ。

× × ×

 勝が大坂を初めて訪れるのは、文久2(1862)年12月とみられる。すでに軍艦奉行並に昇任し、幕府軍艦「順動丸」に幕閣を乗せて摂海(大阪湾)を視察するためだった。翌年の1月にも大坂に入っており、湾の防衛を検討するために計約30日間滞在している。が、いずれも宿所は不明だ。

 次が2月で、勝は27日の日記に「安治川1丁目 順正寺旅館に至る」と記している。現在の大阪市中央卸売市場(福島区野田1丁目)のあたりにあった順正寺のことで、最初はここを宿としていたらしい。

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