PR

産経WEST 産経WEST

【ボストンから一言(6)】反日政権くぐり抜け日韓基本条約で時の人に 東京帝国大卒の韓国の秀才

Messenger

 戦後すぐは、米国政府の要請で、日本統治時代における朝鮮総督府が残した膨大な書類を英訳する仕事に2年間携わっていた。

 ■新聞の1面に自身の名

 1961年、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の、軍事クーデターによって、韓氏は大きな歴史のうねりに巻き込まれていく。

 政権を取った朴大統領は政府の立て直しに多くの頭脳を必要としていた。

 ある朝、新聞を開いた韓氏は、1面に自分の名前が大きく載っていることに驚いた。朴大統領が最高裁判所長官として任命するとの記事だった。韓氏にすれば、青天の霹靂(へきれき)で、祝福の電話が鳴りっぱなしだったという。

 人を裁く判事の仕事は、自分の性格に合わず、また新政府で働く気もない韓氏は断った。

 当時の様子を娘であるSさんはこう振り返る。

 「泣く子も黙る韓国一の権力者の命令を拒否したことで、刑事たちが家に来て、父親は3カ月も拘留されてしまいました」

 そして1965年、朴大統領と佐藤栄作首相との間で日韓基本条約が結ばれたことによって、時代が彼を必要とし、韓氏の人生は激変して時の人となる。

 韓日英の3カ国語が堪能で、経済や商業知識にもたけた韓氏は、日本の名だたる何社もの大企業から顧問弁護士として三顧の礼をもって迎えられ、韓国一の多額納税者となった。

 またアメリカの航空会社が韓国に初めて乗り入れた際も顧問弁護士として活躍をしている。

 国に莫大(ばくだい)な利益をもたらした業績により、朴大統領は直々に韓氏夫妻を青瓦台に招待した。韓氏の経歴を知る大統領だが、互いに過去の拘留には一言も触れなかったそうだ。

立ち居振る舞い日本人そのもの…北朝鮮軍に捕まる前に切腹…そして

関連ニュース

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ