産経WEST

【関西の議論】「矢張りどうしても行きたくない」ノーベル賞の湯川博士、日記に残した“栄転”拒否の秘めた心情

産経WEST 産経WEST

記事詳細

更新

【関西の議論】
「矢張りどうしても行きたくない」ノーベル賞の湯川博士、日記に残した“栄転”拒否の秘めた心情

1949年11月、米コロンビア大学で撮影に応じた湯川秀樹博士(湯川家提供) 1949年11月、米コロンビア大学で撮影に応じた湯川秀樹博士(湯川家提供)

 日記は昭和53(1977)年、京大理学部の戸棚の整理中に風呂敷包みから発見され、博士の没後、遺族が大学に寄贈したノート15冊の一部。「研究室日記(日誌)」と題され、今回、京大基礎物理学研究所の調査により昭和20年1月1日~12月31日分の3冊が公開された。

 博士は9年、ノーベル物理学賞受賞につながる中間子論を発表。終戦後しばらくは沈黙を守り、核兵器の廃絶などを目指した平和運動に携わった。

 小沼氏は東大の学生だった24年11月4日当時を鮮明に覚えている。「日本人がノーベル賞を取ったらしいぞ」「湯川という人らしい」。学内がざわめき立っていた。まだ東京に戦争の傷跡が残っていた時代。名も知らぬ「京大の湯川」という名前だけがたちまち触れ渡った日だった。

■ひっくり返った価値観

 終戦から4年後に世界に認められた湯川博士だったが、20年1月から終戦までの日記には戦況や空襲の記述が目立つ。

 〈B29約130機帝都来襲、被害甚大の模様〉(3月10日)

 〈B29約90機大阪に来襲、雲上より盲爆〉(3月14日)

 3月21日付は〈本日硫黄島将兵玉砕の報あり〉とし、〈国の為 重きつとめを 果し得で 矢弾尽き果て 散るぞ口惜し〉など、硫黄島戦司令官、栗林忠道中将の辞世の句3首を書き写している。

 海外情勢の記載も多く、5月初めには〈一昨日ヒットラー薨去(こうきょ=死去)〉。ポツダム宣言やソ連の対日参戦布告については、それぞれ数十行にわたって内容を写していた。

▼【関連ニュース】東大・京大…2018年の入試2次試験の予想ボーダー

散髪し身なり整え玉音放送を…『科学者の使命』で「大東亜戦下、私…」

このニュースの写真

  • 「矢張りどうしても行きたくない」ノーベル賞の湯川博士、日記に残した“栄転”拒否の秘めた心情
  • 「矢張りどうしても行きたくない」ノーベル賞の湯川博士、日記に残した“栄転”拒否の秘めた心情

関連トピックス

「産経WEST」のランキング