産経WEST

【上方再見】大坂が育てた歌舞伎 隆盛支えたのは競ってパトロンになった船場の旦那衆

産経WEST 産経WEST

記事詳細

更新

【上方再見】
大坂が育てた歌舞伎 隆盛支えたのは競ってパトロンになった船場の旦那衆

「助六由縁江戸桜 角芝居」(左から市川白猿・中村松江・松本幸四郎、天保元=1830年、春曙斎北頂=しゅんしょさいほくちょう=作、大阪くらしの今昔館蔵) 「助六由縁江戸桜 角芝居」(左から市川白猿・中村松江・松本幸四郎、天保元=1830年、春曙斎北頂=しゅんしょさいほくちょう=作、大阪くらしの今昔館蔵)

 生々しい役者の姿を表現した点が上方役者絵の特徴とされるが、人間味を求める大坂町人の気持ちと通じるものがあったのだろう。

 この頃に出された刷り物「浪花大紋日上高金銭山(なにわおおもんびあがりだかこがねのやま)」は大坂のハレの行事の売上高を一覧にしたものである。そこに道頓堀の歌舞伎小屋が1軒当たり1日銀8貫目の収入であったと記されている。現在の貨幣に換算するのは難しいが2400万円という試算もある。

 興味深いのは、茶屋商売が毎日銀20貫目、関連グッズや役者への見舞物の商いが銀15貫目もあったことである。これは五座全部の収入に匹敵する額である。芝居興行は劇場だけでなく周辺の関連産業を潤し、道頓堀界隈は歓楽街の様相を呈していたのである。

 上方歌舞伎がこれほどの隆盛を迎えたのはなぜか。私は、船場の旦那衆が競ってパトロンになったことも一因と考えている。近代になって職住分離が進み、彼らが阪神間に住まいを移した頃から上方歌舞伎の衰退がはじまるのである。

(谷直樹・大阪くらしの今昔館館長)

芸術創り続けた文化 「守・破・離」のプロセスを経て

 東大阪の熱処理会社社長が新入社員に語るのを聞いたことがある。「熱処理は5千年前からある。昔と同じ作り方に見えるが劇的に変わっている。先輩が作りあげた方法に学び、自らのものにし、現場で実践し、外からさまざまな情報を吸収し、より良いものにして次に繋(つな)ごう」と。これこそ「文化」である。

続きを読む

このニュースの写真

  • 大坂が育てた歌舞伎 隆盛支えたのは競ってパトロンになった船場の旦那衆

関連ニュース

「産経WEST」のランキング