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【上方再見】大坂が育てた歌舞伎 隆盛支えたのは競ってパトロンになった船場の旦那衆

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【上方再見】
大坂が育てた歌舞伎 隆盛支えたのは競ってパトロンになった船場の旦那衆

「助六由縁江戸桜 角芝居」(左から市川白猿・中村松江・松本幸四郎、天保元=1830年、春曙斎北頂=しゅんしょさいほくちょう=作、大阪くらしの今昔館蔵) 「助六由縁江戸桜 角芝居」(左から市川白猿・中村松江・松本幸四郎、天保元=1830年、春曙斎北頂=しゅんしょさいほくちょう=作、大阪くらしの今昔館蔵)

 大坂には華やかで上品で、上質な文化があった。江戸歌舞伎に対して、大坂や京都で発展した上方歌舞伎もその一つ。今では京都の年末の風物詩となっている顔見世興行も、もちろん大坂でも開かれていた。富のあるところに文化は花開く。よりゴージャスだったのは間違いない。

道頓堀の歌舞伎小屋の収入、1軒当たり1日銀8貫目

 道頓堀の芝居小屋は、江戸初期の寛永3(1626)年に新地開発の一環として設けられた。以来、市民はもとより、大坂を訪れる観光客にも、なくてはならない遊興施設となり、界隈は盛り場の様相を呈した。

 19世紀前期の「浪華名所独案内(なにわめいしょひとりあんない)」には、道頓堀の日本橋から戎橋の間に「竹田」「若太夫」「角」「中」「筑後」のいわゆる五座が並んでいる。「曽根崎心中」の近松門左衛門は、「筑後」の前身の竹本座の座付作者であった。

 『摂津名所図会(ずえ)』を見ると「夜の顔見世とて万燈(まんどう)をてらし、笹瀬が幕、北浜の手打(てうち)、櫓太鼓(やぐらたいこ)の音に楼船(やかたぶね)を早めての芝居行(しばいゆき)」とあり、提灯で飾られた芝居小屋と、向かいの「いろは茶屋」との間の通りには見物の群衆があふれている。

 大阪くらしの今昔館所蔵の上方役者絵には、大坂で活躍した役者の姿が描かれている。文政13(1830)年に角の芝居で上演された「助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)」を見ると、助六を市川白猿、揚巻(あげまき)を3代目中村松江、髭(ひげ)の意休(いきゅう)を5代目松本幸四郎が演じている。俗に「鼻高幸四郎」と呼ばれた幸四郎の特徴をみごとにとらえている。

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