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【上方再見】豊臣大坂城は現存城の地下に埋まっている-城下から見る天守 大坂城とまちづくり

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【上方再見】
豊臣大坂城は現存城の地下に埋まっている-城下から見る天守 大坂城とまちづくり

大阪の町と戦後に再建された現在の大阪城。豊臣時代の大坂城はこの下に埋まっている=大阪市(本社ヘリから)  大阪の町と戦後に再建された現在の大阪城。豊臣時代の大坂城はこの下に埋まっている=大阪市(本社ヘリから) 

 大阪のシンボルといえば、今も昔も大阪城。太閤さんの城というイメージが強いが、実は徳川の再建で、元の「豊臣大坂城」はその下に埋まっていた-。そんな事実が徐々に明らかになっている。上方文化を学ぶにはまず大阪のまちづくりから…となればやはり、大阪(坂)城を学ばずして大阪は語れない。

「ブラタモリ」で取り上げてほしかった絵図

 「ブラタモリ」というテレビ番組が人気を呼んでいる。古地図を手に、まちを散策し、現代に残る歴史の痕跡を探る番組である。

 ブラタモリの大阪編は終わったが、ぜひ取り上げてほしかった絵図がある。江戸時代に幕府の大工頭を務めた中井家伝来の建築絵図である。昭和35(1960)年、中井家で「大坂御城小指図(さしず)か」と上書きのある袋から和紙に透き写した絵図が発見された。これが豊臣時代の大坂城の本丸図であった。

 それまで、現在の大阪城は豊臣秀吉が築城し、大坂の陣の後、徳川氏が修復したものと考えられていた。しかし、34(1959)年に行われた大坂城総合学術調査で、現存の石垣や櫓(やぐら)はすべて徳川時代の新造であることが確認された。しかも地下7メートルの所から謎の石垣が現れ、その位置が中井家の本丸図と一致した。豊臣大坂城は現在の大阪城(徳川大坂城)の地下に埋まっていたのである。

 中井家の絵図の出現で、秀吉時代の大坂城本丸の姿が現実になった。馬蹄(ばてい)形の堀と石垣は現在の大阪城と相似形で、南は空堀(からほり)、東から北は水堀という構成も同じである。しかし建物配置は異なり、現在の天守は本丸の中央にあるが、豊臣の天守は東北隅にそびえていた。

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