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【メガプレミアム】薩摩藩の恐るべき軍事力 「鳥羽伏見」150年…初公開の不発弾から見える幕末の緊迫

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薩摩藩の恐るべき軍事力 「鳥羽伏見」150年…初公開の不発弾から見える幕末の緊迫

展示された12ドイム臼砲の不発弾=京都市考古資料館 展示された12ドイム臼砲の不発弾=京都市考古資料館

 めり込み具合などから、奉行所の北東から飛んできたことも判明した。その先には薩摩藩ら新政府軍が本営を置いた御香宮(ごこうのみや)神社がある。このため、新政府軍が旧幕府軍の拠点をめがけて放った弾の一つの可能性が高い。

森から現れる砲弾

 鳥羽伏見の戦いは慶応4(1868)年1月3日に戦端が切られた。激しい攻防の末、新政府軍が放った大砲の弾が奉行所内の弾薬庫に着弾し大火災を起こしたと伝えられ、調査地一帯では火災を裏付ける焼け土が出土している。

 ただ、御香宮神社と伏見奉行所との間の距離は約300メートルで、大砲より銃を使った方が効果的な距離だ。実際、当時の記録をみると、臼砲の弾は御香宮神社からではなく、その先の高台から放たれたと書かれている。

 幕末史に詳しい霊山資料館(京都市東山区)の木村幸比古(さちひこ)副館長は「神社のさらに北東の山側にある現在の龍雲寺が建つ付近から撃った可能性が高い」と推測する。

 龍雲寺は現在、御香宮神社から国道を挟んだ桃山丘陵地にあり、同神社から約300メートル離れている。ここからは奉行所の一帯が手に取るように見渡せたのだろう。しかも射程圏が700メートルという臼砲には絶好の距離。臼砲の仰角は45度に固定されていたため、ほどよい射撃場所があれば、奉行所を狙うぐらいなら相当な命中率が考えられる。

 特に薩摩藩は、文久3(1863)年に英国相手の戦いで惨敗を喫したことを教訓に、軍隊の近代化を唱えた第11代藩主の島津斉彬(1809-58年)が砲兵を鍛え上げており、練度が高かったという。

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