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【井上章一の大阪まみれ】織田、豊臣の時代は「安土大阪時代」がふさわしい

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【井上章一の大阪まみれ】
織田、豊臣の時代は「安土大阪時代」がふさわしい

 「安土桃山」時代という言い方がある。織田信長が足利義昭とともに入京してから、豊臣秀吉がなくなるまでの時代をさす。あるいは、関ケ原の合戦までをふくめることもある。西暦では、一五六八年から一五九八年、または一六〇〇年までの期間を、そうよぶ。

 基本的には、信長が天下をめざし、秀吉が天下人となった時代を意味している。「安土桃山」の「安土」は、信長のきずいた安土城に由来するだろう。「桃山」は、秀吉の居城となった伏見城が桃山にあったことから、そう名ざされた。

 天下へは、安土城と桃山の伏見城から、号令がかけられている。そうみなされたから、あの時代は「安土桃山」の時代とよばれるようになったのか。

 なるほど、信長は安土に天下をうかがう一大城郭をおいた。信長の時代を「安土」時代とよぶことに、私も反対はしない。しかし、「桃山」時代には、どうしてもひっかかる。

 桃山の伏見城は、秀吉のいとなんだ邸宅用の城郭である。あられもなく書けば、隠居用の居館にほかならない。そこから、全国統治へのりだすつもりは、なかったろう。

 伏見城から政局をうごかしたのは、秀吉の没後に、そこへはいった徳川家康である。だから、家康が伏見から駿府へうつるまでを「桃山」時代と言うのなら、まだわかる。だが、秀吉の時代を、「桃山」で代表させるのはまちがっている。

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