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【竹島を考える】「東海は2千年前から」…広まる韓国の虚偽、「遺憾の意」だけでは解決遠い 下條正男・拓殖大教授

 だが、国際水路局(現在の国際水路機関)で『大洋と海の境界』が編纂される前年、1928年7月1日付の『東亜日報』は「東海-或は滄海(そうかい)と云う、日本海の一部」と報じていた。当時の東海は、日本海の一部を指していたのである。

 この事実は、1903年に刊行された『韓海通漁指針』でも確認できる。「東海」は、「東北咸鏡道の豆満江より東南慶尚道釜山附近に至る沿海」とされ、「一大内海を形成せる日本海の一部」だったからだ。

 それに日本海は、海軍省水路局が刊行した全国的な水路誌『寰瀛(かんえい)水路誌』(1883年刊)によると、北は韃靼(だったん)海湾、南は朝鮮水道に挟まれた海域であった。これは、その後編纂された『朝鮮水路誌』(1894年)も同様で、日本海は日本列島と「朝鮮及黒龍沿岸州ノ海岸ヲ以テ西及西北ノ海界トナス」中にあった。

日本が独断で定めたのではない「日本海」

 つまり、東海は朝鮮半島の東海岸の沿海で、日本海の一部だったということである。それに日本海という呼称は、『寰瀛水路誌』などが基とした海外の水路誌や海図を踏襲したもので、日本が独断で定めたものではない。その日本海の一部だった東海が、日本海に拡大解釈されたのは戦後である。

 1952年2月2日付の『京郷新聞』の社説は「奴等が東海を日本海と呼び、独島(竹島の韓国側呼称)を竹島と言うのと同じように、無理な抗議や反駁(はんばく)に対して耳を貸す必要がない」として、東海を完全に日本海に重ねている。この社説は、この年の1月18日、韓国政府が「李承晩ライン」を宣言し、竹島をその中に含めたことを日本側が抗議したのに対する論評である。

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