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【仕事どうする? 女の流儀(3)】
療育、パワハラ…転職重ね価値観に変化 月給50万円より働きやすさ選択
「定年までこの会社で勤め上げるんだ」
井上貴美(46)はそう信じて社会人の道を歩み始めた。平成5年、バブル景気は去ったが、男女雇用機会均等法が浸透しつつあり、女性の社会進出が勢いづいた時代だ。その後、さまざまな困難にぶつかって職を転々とするとは、まだ想像すらできなかった。
バリバリ働くこと「時代の要請」
井上は有名女子大を卒業後、大手航空会社の地上職に就き、テレビ番組制作の仕事をする夫と結婚した。大阪府内に購入した自宅は共有名義とし、2人分のローンを組んだ。周囲からは憧れの目を向けられ、「夫婦でバリバリ働くことが時代の要請」と感じていた。
しかし、28歳で授かった子がダウン症を持って生まれ、長期の療育が欠かせない環境となった。2人目の子の妊娠中には実母のがんが判明、看護にも追われた。思い悩んだ末、「今の会社生活との両立はムリ」と諦め、13年間勤めた会社を去った。
とはいえ、2人の子と高額に設定した住宅ローンを抱え、収入は必要だ。やがて自宅近くの縫製工場で働き始めた。正社員で、夕方5時に退社できるからと決めた会社だが、手取りは約12万円。それ以上に、小さな職場で女性同士のいじめやパワハラに苦しんだ。
「直属の女性上司にいつもののしられ、胸を突き飛ばされたりもしました」
耐え続けたつもりだが、やがて転職を決意した。
平成19年、35歳。次の仕事には生命保険のコンサルタントを選んだ。「私には接客の仕事の方が向いている」と思って決めた。飛び込み営業をいとわず顧客開拓に励み、契約も獲得して、まずまずの成績を挙げた。
ところが今度は、2年目から成果報酬型となり、収入を増やせば家庭との両立が難しくなってしまった。そこでまた転身し、別の大手生保の門をたたいた。