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【薬種商「天命」田邊屋五兵衞(27)】戦争で甚大な被害 復興の象徴「ニッパス」

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【薬種商「天命」田邊屋五兵衞(27)】
戦争で甚大な被害 復興の象徴「ニッパス」

昭和22年に再建された本社社屋 昭和22年に再建された本社社屋

▼(26)十四代、戦時下の船出 社名を「田辺製薬」に…から続く

 製薬業界の中でも戦争被害は最大規模-。昭和20(1945)年の夏、それが道修町(どしょうまち)でも一、二を争う老舗、田辺製薬の現状だった。大阪の加島、本庄、中津工場などは全焼か半焼、広島工場は壊滅。業界全体は10~15%減という中で、田辺製薬の生産能力は以前の50%以下に激減していた。当然ながら社員の多くも被災し、事実上、生産停止の一歩手前であった。

 幸いだったのは、道修町の本社が無事だったことだ。経営陣は早速、具体的な方針を打ち出し、加島工場を新薬中心のメイン工場に、本庄工場は局方薬、小野田工場はサリチル酸…として復興に邁進(まいしん)。9月には順次、生産を開始している。12月には従業員組合が発足、後に田辺製薬労働組合と改称した。

 ところがまたも災難に見舞われる。終戦から1年後の昭和21年8月14日深夜、漏電で本社がほぼ全焼したのだ。帳簿や記録類など大切な文書も失い、呆然(ぼうぜん)とする社員らを前にした五兵衞の訓示が残っている。

 「いつまでも損害についてくよくよせず、心機一転して復興にかかろうではないか」。サッカー選手としても知られた十四代五兵衞の、不屈の闘志がうかがえるエピソードである。

 翌22年には本社社屋を再建、2年後には株式を東京・大阪の両証券取引所に上場した。このころ、好不況の波は大きかった。急速なインフレを抑制するために緊縮経済政策がとられ、企業倒産が相次いだのだ。同社も例外ではなく、その危機に労使一体となって取り組み、人員削減も行っている。

 その中で昭和25年、田辺製薬の戦後復興を象徴する製品が登場する。抗結核薬「ニッパス」である。

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