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【歴史インサイド】千年の都・京都は城の宝庫だった 信長、秀吉、家康…最新の調査成果とは

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【歴史インサイド】
千年の都・京都は城の宝庫だった 信長、秀吉、家康…最新の調査成果とは

足利義昭の旧二条城跡から出土した堀跡=平成28年5月12日、京都市上京区 足利義昭の旧二条城跡から出土した堀跡=平成28年5月12日、京都市上京区

 千年の都・京都は、実は「城の宝庫」なのだ。平安京への遷都当初こそは皇族や貴族たちの都だったが、鎌倉時代になると武士の進出が目覚ましく、以後出現する武士の拠点・城の数は京都市内で遺跡地図に登録されているだけでも110以上に及ぶ。今から670年前に京に室町幕府が開かれ、応仁の乱後は戦乱が絶えなかったのも原因だが、たくさんの武将が天皇や将軍の権威を求めて上洛した結果でもある。近年、織田信長の嫡男・信忠が「本能寺の変」のときに討ち死にした二条殿御池城跡から炭の層と建物跡などが出土するなど新発見もあった。そんな京の最新のお城調査成果を紹介する。

信長の嫡男が討ち死にした二条殿御池城

 京都市中京区烏丸通御池近くのマンション建設現場。民間調査団体「古代文化調査会」が平成27年4月までに実施した発掘調査で、厚さ約5センチの炭を含んだ焼け土の層や石敷き遺構、柱穴列などが出土していたことが新たに分かった。

 石敷きは「L」字状に曲がり、それに接続するように直径約30センチの柱穴が約1・5メートルの等間隔に並んでおり、建物跡と確認された。このほか、敷地をめぐっていたとみられる南北の堀跡なども出土した。

 同調査会は、出土した陶磁器などから、天正10(1582)年6月、信長が明智光秀に討たれた本能寺の変の際、信長の嫡男・信忠が討ち死にした二条殿御池城(二条御新造)跡で、炭は本能寺の変のときの痕跡の可能性が高いとみる。

 同城跡では、かつて庭園とみられる遺構が出土しているが、建物遺構が出土したのは今回が初めて。同調査会の上村憲章・主任調査員は「一帯は被災して、施設は跡形もなく焼けてしまったのだろう。本能寺の変のすさまじさを物語る」と話す。

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