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【西論】日本遺産めざして 「楠公さん(楠木正成)」を再び全国区に

 同神社の鎮座場所は、湊川の戦いで敗れた正成が弟・正季(まさすえ)と刺し違えた場所である。南北朝時代から殉節地として知られていたが、墓所として墓碑が建ったのは元禄5(1692)年。光圀はわざわざ家臣の佐々宗淳(むねきよ)、漫遊記では助さんに当たる人物を兵庫に派遣して現場指揮に当たらせ、墓碑には自ら「嗚呼忠臣楠子之墓」と謹書した。幕末、徳川御三家でありながら尊王の気風の強かった水戸藩の源流は、光圀の正成びいきにその根が見られるのである。

 幕末の墓参も、全国規模のものだった。嘉永4(1851)年の参詣者記録に、吉田松陰の名が見える。松陰はその後も3度、参詣した。文久3(1863)年には幕臣・勝海舟と坂本龍馬の師弟が参った。

 〈月と日の 昔をしのぶ湊川 流れて清き 菊のした水〉

 龍馬はその時、こんな歌を詠んでいる。志士の参詣はその後も引きも切らず、高杉晋作、木戸孝允、伊藤博文、西郷隆盛、大久保利通らが名を連ねる。日本の近代化に楠公さん・正成が精神的支柱になったといわれる所以(ゆえん)である。

 ◆関西の誇りとして

 戦後七十余年。日本社会で記憶の果てに消えようとしていた正成・正行の足跡と心を忘れまいとして始まったのが弊紙の1面連載「楠木正成考~『公』を忘れた日本人へ」である。国への貢献ばかり求められた戦中の反動から、「私」や権利を重視する価値観が主流になり、その末に社会生活に欠かせない「公」精神が著しく欠如していないか-。そんな問いかけを、正成・正行父子に仮託して行ったものだ。

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