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【歴史インサイド】忠臣蔵秘話、巨大寺院との意外な関係 「赤穂事件」吉良上野介から〝直接聴取〟…徹底調査のウラ

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【歴史インサイド】
忠臣蔵秘話、巨大寺院との意外な関係 「赤穂事件」吉良上野介から〝直接聴取〟…徹底調査のウラ

「江戸江遺書状留帳」で浅野内匠頭の行為を「乱心」と伝える一文(左頁最後から2行目あたま)=京都市下京区の西本願寺 「江戸江遺書状留帳」で浅野内匠頭の行為を「乱心」と伝える一文(左頁最後から2行目あたま)=京都市下京区の西本願寺

取り調べ担当者にも接触図る

 さらに同日付の手紙では、「内匠頭殿の事件の終始について、近藤重興(しげおき)氏より請けるつもりが、覚書が来ないので、徳正寺の緒縁を利用して、駿府守ご家来多賀氏へご依頼したこと、珍重なことである」とも記されていた。

 近藤重興は事件の取り調べを担当した幕府目付の1人。内匠頭を取り押さえた旗本からも聴取をしていた。西本願寺は近藤から事情を聴こうとしたものの返事が来なかったため、ツテを頼って情報を得ようとしていたことが手紙には書かれており、西本願寺側の情報収集に対する徹底ぶりが伝わってくる。

 早稲田大文学学術院の谷口真子教授(日本近世史)によると、事件直後、赤穂藩では事件の原因がけんかによるものだと考えられていたという。

 討ち入った赤穂浪士も最後まで詳細が分からないままだったといい、「江戸城内で刃傷に及ぶこと自体が切腹にあたる。ほかの殿中刃傷事件についても詳細がほとんど分かっていない」と指摘。「同じ時期に、西本願寺はすでに『乱心』という別の情報を得ていたのは興味深い」と話した。

吉良家3代にわたる関係

 西本願寺がこうまで情報収集に熱心だったのは、吉良家との深い関係が背景にあったと考えられる。

 『留帳』と一緒に見つかった書状の中に、上野介の父、義冬が明暦3(1657)年1月に起きた「明暦の大火」で焼失した「浅草御坊(現・築地本願寺)」の再建の様子を西本願寺に報告したものがあった。

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